2006.06.27 Tuesday
甘酢漬け
2006.06.26 Monday
ソーラークッカー
茄子も花から実となり始めた♪
『私にできることは、なんだろう。』の中でおもしろいものを発見した。それはソーラークッカーなるもの。工房あまねのパラボラ型ソーラークッカーきれいだなぁ。いいなぁ。あとカナダの Solar Sizzler だと1万円くらい。これもよさそう。子供の頃、虫眼鏡で紙を燃やしたときの感動を思い出す。太陽のエネルギーで料理ができるなんて素敵♪ 災害時にも役立ちそうだ。
◆ホワイトリボン運動◆
世界には出産の時にへその緒を道端にある石やガラスの破片で切らなければならないお母さんがいるという。500円あれば、自宅分娩に必要な出産介助キットを届けることができる。
『私にできることは、なんだろう。』の中でおもしろいものを発見した。それはソーラークッカーなるもの。工房あまねのパラボラ型ソーラークッカーきれいだなぁ。いいなぁ。あとカナダの Solar Sizzler だと1万円くらい。これもよさそう。子供の頃、虫眼鏡で紙を燃やしたときの感動を思い出す。太陽のエネルギーで料理ができるなんて素敵♪ 災害時にも役立ちそうだ。
◆ホワイトリボン運動◆
世界には出産の時にへその緒を道端にある石やガラスの破片で切らなければならないお母さんがいるという。500円あれば、自宅分娩に必要な出産介助キットを届けることができる。
2006.06.25 Sunday
新たな扉が開く
盲導犬サポートSHOPで見つけた水筒が届いた♪ ポンと開けて片手でそのまま飲めるタイプ。早速ダンスの練習に持っていこう。私が新しく始めていたこと、それはダンス!「新しくないやんけー!」と言われそうですが、新しいグループで私にとって新しいスタイルのダンスを習い始めたのだ。ストリートダンスとコンテンポラリーダンス。筋トレはクラッシックバレエスタイルもあり!美しい白鳥の気分が味わえる。んがしかし予想外に汗をかく運動量。バレエには涼しげなイメージを持っていたので意外だった。そして今日は演劇的表現についての練習があり演じることにも挑戦した。今までやったことがないのでとてもおもしろい。とはいえ恥ずかしくて恥ずかしくて久しぶりに赤面した。表現する新しい感覚を知った。自分の中の新しい扉が開いた気がした。
2006.06.24 Saturday
鈍子と観太の日常
◆◆◆
「コーヒーでも飲もっかな。」立ちあがる鈍子。「あっそう言えば観葉植物の観太に水あげてなかったな。忘れないうちに先に観太に水あげよう♪」るんるんるー。それに気づいた観太、「うわーっ!また来たよ。だから水多いんだっての!僕まだ乾いてないんだよ。どーしてこの人は僕のことよく見て考えてくれないのかね。」「あなたのこと忘れたりしないよ。私の大切な観太♪」ザーッ。「あーもうまたずぶずぶだよ。…最近このまま溺れ死ぬ夢をよく見るんだよね。もう僕どこかおかしいのかな…。息苦しい恐怖を感じるよ。」観太に溢れんばかりの愛情を注ぐ鈍子とその愛情により息も絶え絶えの観太であった。
◆◆◆
私はよく水のやりすぎで根腐れを起こしていたことにある日気がついた。TVで「私が水飲むなら植物にもあげましょう!という優しい人はたいてい枯らせます。」という言葉を聞いたのだ。私はちゃんと水やってるのにどうして枯れるんだろう…と思っていたのだけれど、やり過ぎていたとは!目からうろこだった。今となっては優しさの押し売りも困りものだと気づいている。本当の優しさは相手のことをよく見て感じて思いやることで、自分の与えたいものを与えたいだけ与えたいように与えることではない。水も愛情もただあげればよいというものではない。人と人でもそうだよなぁとつくづく思う。
「コーヒーでも飲もっかな。」立ちあがる鈍子。「あっそう言えば観葉植物の観太に水あげてなかったな。忘れないうちに先に観太に水あげよう♪」るんるんるー。それに気づいた観太、「うわーっ!また来たよ。だから水多いんだっての!僕まだ乾いてないんだよ。どーしてこの人は僕のことよく見て考えてくれないのかね。」「あなたのこと忘れたりしないよ。私の大切な観太♪」ザーッ。「あーもうまたずぶずぶだよ。…最近このまま溺れ死ぬ夢をよく見るんだよね。もう僕どこかおかしいのかな…。息苦しい恐怖を感じるよ。」観太に溢れんばかりの愛情を注ぐ鈍子とその愛情により息も絶え絶えの観太であった。
◆◆◆
私はよく水のやりすぎで根腐れを起こしていたことにある日気がついた。TVで「私が水飲むなら植物にもあげましょう!という優しい人はたいてい枯らせます。」という言葉を聞いたのだ。私はちゃんと水やってるのにどうして枯れるんだろう…と思っていたのだけれど、やり過ぎていたとは!目からうろこだった。今となっては優しさの押し売りも困りものだと気づいている。本当の優しさは相手のことをよく見て感じて思いやることで、自分の与えたいものを与えたいだけ与えたいように与えることではない。水も愛情もただあげればよいというものではない。人と人でもそうだよなぁとつくづく思う。
2006.06.22 Thursday